迷い犬について思うこと

以前に家の近所をうろついていた迷い犬を保護したことがある。
超高齢のため目が見えず、痴呆も患っていることは保護してから気づいた。
周りの状況が認識できていないほど痴呆が進んだその子の状態と家族の状況を考えて、私はこのまま一カ月すぎて飼い主が現れなかったら、自分で獣医に連れて行き安楽死の処置をお願いすると提案した*1。ブル美さんは、ここでご飯を食べているだけでこの子は幸せそうだと反論し、何度も口論になった。
一日中クルクルと回り、排泄物を踏み潰し、遠吠えするその犬のめんどうを中心になってみていたのは彼女だったので、私はそれ以上は強く言うことはできなかった。
飼い主は現れるのかな。本当は捨て犬なんじゃないか?。現れたとしても、いいかげんな人で結局また放棄してしまうんじゃないか……。その間の不安な気持ちが、迷い犬の話題を聞くたびによみがえってくる。
迷い犬本犬が一番不安。飼い主も不安(なはず)。でも忘れられがちだけど、保護している人だって同じような不安な気持ちを体験することになるのだ。なぜなら放っておけないほど犬が大好きだから(そしてそういう人の家には、ほとんどの場合既に犬がいる)。
いろいろなフレンチブルドッグのサイトで東京の公園で保護されたクリームの迷子ちゃんのことを眼にする。
そのフレンチブルドッグらしい天真爛漫な表情をした迷子ちゃんと保護されている方にとって、よりよい結末が訪れるよう祈らずにはいられない。

*1:隣町まで貼りまくったビラが功を奏し、その犬は飼い主さんの元へ帰っていった。人づてに聞くところによると、飼い主さんはほどなくその子の安楽死を選択したらしい。私はその選択はやむを得ないと思うけれど、飼い主さんが保健所=安楽死というありがちで恐ろしい勘違いをしていなければいいのだが。